
記事『娘の誕生記念万年筆!生まれ年を彫って成人したら贈る』に書いたとおり、子どもの生まれ年と名前を彫ったカスタムカエデ(木軸万年筆)を購入しました。
この万年筆は節目のときに子どもに贈る予定です。
このプランについて、直接言われたわけではありませんがSNS上で私が書いた記事に対してご意見をいただきました。
「父親が使い続けた木軸万年筆なんて絶対いらない。新品のまま置いておくべき。」というご意見でした。
私はなんて愚かな行為におよんでしまったのでしょうか・・・。
自分よがりの行為を深く反省するとともに、改めて新品の名入れ入りカスタムカエデを買い直しました。
これは新品のままずっとしまっておきます。
とまあ冗談はさておき、思うところもあり折角なので記事にします。
そもそもいらないというのはどういうことか?
あえて木軸と書いているので木軸でなければ良いということなのか?
父親が使い続け汗が染み込んだ万年筆なんて要らないということなのか?
とりあえずそう理解しました。
新品のままずっと取っておいたとして、逆にそれは嬉しいのでしょうか?
プレゼントするときに新品で買ってすぐ渡すのとどう違うのか・・・。
生まれ年に買い、生まれ年が彫られただけでおそらく生まれ年に作られた訳でもない万年筆をただずっと取っておいて何があるのでしょうか?
生まれ年から使われ続けてその年数だけの歴史があるからこそ魅力があるのではないか?
素直に疑問です。
万年筆に興味がなくいらないと思うならそれで良いと思っています。
残念ではありますが、万年筆自体に興味がない人にあげても仕方ないので、それであれば他の子や孫でも良いのです。
ただ、万年筆は好きだけど、”父親が使ってた”万年筆なんて要らないという感性だと悲しいなあと思います。
知らぬどこかの誰かではなく家族ですし。
万年筆の魅力をわかっていないのではないでしょうか?
万年筆はその名の通り大事に使っていけばずっと使っていける筆記具です。
両親や祖父母、そのまた先祖が使っていた万年筆を自分が受け継ぎ、また子や孫に受け継いでいけるって素敵ではありませんか?
何だか浪漫みたいなものを感じます。
それに、書きぐせがよほど合わないという訳でなければ、育てられた万年筆はきっととても気持ち良い書き味でしょう。
もし私の両親や祖父母などが万年筆を使っていて、それを譲ってくれるなら木軸だろうが何だろうが喜んで受け取りたいものです。
私の祖父は万年筆を使用していたので、自分が受け継げたらと密かに思っています。妹も万年筆ユーザーなので妹に渡っても良いですが。
自分の万年筆も含め、家族以外の人に渡ったり、処分されたりしてしまうよりは誰か家族が受け継いでいったら良いなあと思っています。
そんな訳で、要らないと思われれば仕方ない。
でも欲しいと思ってもらえればとっても嬉しい!
カスタムカエデに限らず、私の持つ万年筆を欲しいと思ってくれるなら、徐々に譲っていきたい。
2018.11.11追記
私は万年筆を贈るのに新品か中古かの是非を問いたかったわけではありません。
基本的に万年筆は相性があるので、その人に合う万年筆を選ぶべきと思っています。
そもそも子どもが望むのであれば誕生日プレゼントなどで新品の万年筆を贈るつもりでいます。今回のカスタムカエデはそれとは別の1本にすぎません。
新品についてで疑問に思ったのは、新品で買って置いておくというところです。そこの価値が私にはいまいちわからず、それであればプレゼントするときに好きなものを新品で選んだほうが良いのではないかと思いました。
価値観の押しつけになってしまいかねないことは重々承知しているので、繰り返しですが子どもが喜ばなかったら喜ばなかったで良いのです。
軸もペン先も私が選んでしまった以上、カスタムカエデという商品自体が子どもが気に入るとは限らないわけです。
それに私が使うという時点でこのカスタムカエデは万年筆としての役目は果たせています。そのうえでもし受け継ぐということに子どもが喜びを感じてくれるのならそれはとても嬉しいことだと思っています。
要らないと思われたらマイナスではなく、プラマイゼロで喜んでもらえたらプラスのイメージです。
価値観は人それぞれ。喜ぶか喜ばないかもまた人それぞれです。
実際に子どもがどう感じるかはそのときまでわかりませんが、「絶対に要らない」と決めつけられて言われたことが一番引っかかったところでした。
ペン先については書き癖で合わないことがあるかもしれません。そこまで私にひねりなどの癖は今のところないのですが、もし問題があれば調整すれば良いと考えています。
当記事に対して多数いただいたコメントを受けての感想を後日、別記事に書きました。
ロマンですよね。小さな息子には、とりあえずパパが死んだら、インクを抜いて水洗いしろと言ってます。顔料インクは、数本のみに。
>ryoさん
お~、素晴らしい。
私も万年筆の取り扱いはちゃんと教えておかないとですね~
親父の油が染みついた万年筆だから、嫌がられる。
新品での方がいいです。
>匿名さん
ありがとうございます!
欲しがるようなら誕生日プレゼントなどで好きな万年筆を贈るつもりです。
万年筆は使い続けることによりペン先が自分好みに変化して文字通り「世界に二つとない自分のためのペン」になるという考え方も出来るので新品の方がいいとも思えます。
その一方で「尊敬する人から受け継いだがペン」や「○○の調印に使われたペン」にも魅力があります。
なので一概に「新品がいい」「使われていた物がいい」と言い切れないですね。
ここら辺は腕時計と似てますね。
最終的には個人の好みの問題になるので難しい所です。
そういう意味では2本用意しておいて好みに合わせるというのが一番いいかもしれませんね(笑)
>かずばさん
そうですね。かずばさんの仰る通りで、やはり当人に合うものを使ったほうが良いと思うので、
普段は誕生日などの機会に子どもが望むようなら新品は新品で好きなものをプレゼントするつもりです。
今回のカスタムカエデはそれらとは別の、特別な1本という位置づけです。
子どもが要らないと思ったとしても、私が使う以上は私が楽しめれば万年筆としての役目を果たせますし、軸も字幅も私が選んでいる以上は子ども本人が気に入るかなんてわからないので、仕方ないと思っています。
記事にしたのは「誰もが要らない」というところが引っかかったところが一番大きいです。
はじめまして。お子様が成人なさった時どう思うかは分かりませんが、私ならそんな素敵なプレゼントをもらえたら父親の愛情が嬉しくて嬉しくて泣いてしまうだろうなあ…。ないものねだりでしょうね。20代後半女子より。
>匿名さん
コメントありがとうございます。
子どもがどう感じるかはそのときまで誰にもわかりませんが、嬉しいと思ってくださる方(しかも娘さんとしての立場から)のご意見もいただけただけで記事を書いたかいがありました。
コメント失礼いたします。
私が贈るなら新品ですし、
私がもらうでも新品です。
ポイントは、「父親が育てた万年筆を継承する」
というロマンを、もらう側が同じ価値観であるかどうか、です。
相手がそのロマンについて、肯定的か否定的かを把握せずに、それを実行してしまうのは、送る側の好意の押し付けになってしまいます。
たしかに、よい万年筆はきちんとメンテナンスすれば、代々継承できる、ロマンあふれるものです。
私も、親しい人が育てた万年筆、いいと思います。
が、例えば、男の子の子どもに、「パパがずっと使ってきたグローブだ! うれしいだろう?」
といわれても、やっぱり新品がワクワクして嬉しいでしょう。
その子が、パパが使ってたグローブ、いつかもらうんだ!ってずっと言ってるのを知ってたら、使っていたものを贈るのが最良です。
私なら新品を送って、「大事に、あなたの万年筆として育ててください」と言います。
価値観の押し付けは、あげた側だけの自己満足になりがちです。
>名無しさん
コメントありがとうございます。
私は万年筆を贈るなら新品か中古かの是非を問いたかったわけではありません。
そもそも子どもが望むのであれば誕生日プレゼントなどで新品も贈るつもりでいます。
基本は子どもに合う万年筆が良いと思っているので、子どもに合う軸やペン先を選ぶべきと思っています。
価値観の押しつけになってしまうこともわかっているので、記事でも書いたとおりで実際に子どもから要らないと思われることに対しても仕方ないと思っています。
しかし、絶対に要らないという意見についてもまた価値観の押しつけと思ったので書いた次第です。
また、新品についてで疑問に思ったのは新品で買ってすぐプレゼントするのと、新品で買って何年もずっと置いておいたものをプレゼントするのとで、後者のほうが良い理由がわからなかったからです。
それであれば子どもが好きなものを選べる前者のほうが良いと思いました。
私なら嬉しいです。ずっと大切に使ってくれて、気持ちと一緒に贈られたら感激します。
私自身が20年近く前に宝飾品をそのように祖母から贈られました。今でも照れ臭そうな祖母を覚えています。
でも娘さんは解らないから、両方に備えたと思ってはいかがでしょうか。
娘さんが望むなら贈り、そうでもなさそうならお父様との想い出のお揃い品です。どちらも決してお金では買えないものです。
>匿名さん
ありがとうございます。嬉しいと感じてくださる方もいらしたので安心しました。
そうですね、わからないので両方に備えるというのが一番無難なんだろうなと感じました。
はじめまして、いつも楽しく記事を読ませてもらっています。
新品を渡すのと使っていたものを受け継がせるの、どちらが喜ばれるかは、
それはその時になってみないとわからないものですよね。
娘さんの節目節目のときのお祝いのメッセージを
(入学祝い、卒業祝いなど)をその万年筆で書いて渡すなど、
プレゼントするときまでにその万年筆に何かストーリーがあれば
プレゼントされたときの喜びも増すかもしれませんね。
新品で買ってすぐプレゼントするのと、
何年も置いてからプレゼントすることの違いですが、
個人的には、(貰う立場からすると)
「自分が産まれたときから大切に保管されていた」
ということ自体に、付加価値を感じることがあると思います。
これも、個人の感性の問題だと思いますが、
少なくとも僕(男性です)は大切に保管されてきたという事実に価値を感じ、
嬉しく思いますよ。
>万年筆好きさん
いつも記事を読んでくださっているとのこと、ありがとうございます。嬉しいです。
ご意見とても参考になります。ストーリー大事ですね。
ずっと管理・保管されていたことが価値になるのですね。
確かにただ新品でサッと渡されるよりも、ずっと想いが込められている印象を受けますね。
コメントありがとうございました。
なんて素敵なお父さん何だろうか。最高じゃないですか❗お金がいくらあっても買えないものは、時間と愛情とカランダッシュなんて言いますが、これは一気に2つも子供にあげちゃうんですね。是非歴史を作ってあげたら嬉しいと思いますね。
>名有りさん
素敵や最高との言葉ありがとうございます!!
お金がいくらあっても買えないの中のカランダッシュに笑ってしまいました笑
受け取ってもらえることを祈ります!
はじめまして。
私だったらお父さんの万年筆、大切にとっておくと思います。
私は中学校の入学祝いに父からもらった万年筆は大人になってからもずっと持っていました。引っ越しを繰り返して失くしてしまったのですが、大切な思い出です。
新品とふたつお渡しなさるのはいいアイデアですね。
>りんさん
はじめまして。
ご意見ありがとうございます。そうした贈り物って特別ですよね。
失くされたことは残念ですが、大切な思い出として生きているようで素敵ですね。
はじめまして。なかなか興味深いテーマですね。
私の意見としては、価値観の押し付けは良くないですが、価値観の教育は問題無いと考えます。
まずはカクノかプレピーあたりで、御息女に万年筆のカッコよさを教え、運良く万年筆好きに成長してから、改めてプレゼントすればいいんじゃないでしょうか。
ひょっとしたら、親父の手垢が付いた木軸を継承しようという考えになってくれるかもしれませんからね。
>下半身無防備都市さん
はじめまして。
そうですね。価値観の押しつけになってしまいかねないところは怖いので、気をつけなければと思っています。
カスタムカエデをプレゼント予定なのは下の子ですが、上の子にはすでにプレピーなどを使わせていて、万年筆かっこいいと言ってくれているので、きっと下の子も万年筆自体には興味を持ってくれるのではないかと思っています。それで最終的に万年筆ユーザーにならなかったらそれはそれで仕方ないですね。私が大事に使い使い続けて墓まで持っていきます!
相手が息子さんなら何も、あるいは貴方が母親からならやはりさほど問題ないと思います。または渡すのが樹脂軸や金属軸でも、喜ばないまでも嫌がられまではしないと思うのですが…
いわゆる自然素材系で使い込んで味が~的なものは男性的な感覚で、若い女性はただ汚れた物という感覚の人の方が大多数だと思います。
そこにさらに、いわゆる一緒に服を洗濯するな問題のような、若い女性から父親に対しての生理的嫌悪が加味される可能性も低くありません。
結果、父親が使い込んで汚れが染み付いた木軸というものは場合によっては単純に要らないという以上にそんなものをプレゼントしようという考え自体が嫌がられる可能性すらあります。
はじめの絶対要らないという意見は嬉しくないだけでなく嫌悪込みだと思いますよ。
そういったことまで考えた上で、貴方の娘さんがどのように育つのかもわかりませんし好きにすればいいのではないかと。
>通りすがりさん
性別的な感覚の違い、参考になります。ありがとうございます!!
親子の仲がどれだけいいかによっても変わってくると思いますが、よほど母親が父を尊敬するように育てないと、思春期にかけて父親を避けるようになると思います(近親交配を防ぐためだとか)。その父親が長年使い続けた万年筆を貰っても、少し困惑するのではないでしょうか…
うまく説明できないのですが、尊敬している人が長年使っている万年筆を貰えるととても嬉しいと思います。でもそれはその人がプレゼント目的で使っていたわけではないからこそ、嬉しいのであって、渡すことを考えて使い続けるというのは、すこしストーカーっぽく感じてしまうかもしれません…
>みなみさん
おっしゃる通りで関係性によるところやタイミングはかなり大きいと思っています。
なので明確にはいつのタイミングにするのか決めていません。
もしかしたら結局話を切り出すことができないままになってしまうかもとは思っています。
母が使っていた樹脂軸の万年筆を譲ってもらい愛用している娘の立場ですが、やはり正直、木軸+父親は戸惑います。
老いた父に思いを馳せる年齢になってからならともかく、若い女性にと考えた時に否定的意見が出てしまうのは仕方ない部分があると思います(性差については通りすがりさんやみなみさんがご指摘の通りです)。
これが多少距離のある祖父となると平気だったりするのですが。
絶対に要らないという決め付けが引っ掛かるのはわかりますが、私からすると『万年筆の魅力をわかっていないのではないでしょうか』という部分が引っ掛かります。魅力の問題ではないのです。
自分の父親がそんな風に思っていたら嫌だなと思ったのでコメントさせていただきました。
>娘の立場からさん
実際の娘さんとしての立場からのご意見ありがとうございます。
性差については考えが至らないところでしたので、今回とても勉強になりました。
また、祖父と父でも違うのですね。
『万年筆の魅力をわかっていないのではないでしょうか』という表現については悪かったとおもっています。
気を悪くさせてしまい申し訳ありませんでした。
「父のお下がり」とか「父の遺品」としてなら使い古した万年筆がいいし、書きグセがついていたり経年変化があったりしていたほうがいい(思い出になる)けど、「自分の誕生記念」で自分の生まれ年が入ってて自分に贈るつもりだったものに父の書きグセがついてたら「なんで?」ってなるかなぁ。お古を貰う良さと自分の誕生記念&成人祝いっていうのが噛み合わない感じがします。
「新品のまま眠らせておくなら成人したタイミングで新品を買っても同じ」っていう感覚もなくて、20年経てば売っている万年筆の規格も変わってくるだろうし、何よりも「自分が生まれた当時に20年後のことを考えて買ってくれていて、ずっと保存しておいてくれていて、実際に成人した時にも忘れずに贈ってくれた」ってところに価値を感じるからだと思います。
>にーさん
ありがとうございます。
書きグセについては良い方に転ぶ可能性もそれなりにあると思っていますし、
もし問題があったとしても調整するつもりです。
噛み合わないという点は自分でも少し感じていたところでした。
ブログ記事にしたときに文章上の表現があまり良くなかった気もします。
タイトルをキレイにまとめようとしてしまって
それに引きずられて記事内も言葉の使い方とかマズかったように思います。
もう少し素直に書くべきでした。
新品の件については、全く同じだとは思っていなかったのですが、
自分の中では生まれ年がキーワードで、そことあまり関係なくなってしまうように思えてしまいました。
生まれ年から管理・保管していると結びつければよかったのだと思います。
すみません、あまりうまく説明ができてないような気がします。
私の場合、父が使っていたボールペンを継いでいます。
“国内外の出張、単身赴任
どこでも書けた安心の1本”
と、渡されました。
新品を文房具屋さんに見に行きましたが
決して高い物ではありません。
でも、30年以上、間違い無く書けたのは
私も安心出来ます。
ただ、子供に話すと
“そんな重みのあるペンは持てない”
自分が壊す、無くす心配の方が上回るようです。
木製の軸は、購入してからも育つ部分があるので
それをお子さんが将来、どのように感じるか
あるかもしれません。
子供は、”自分の好みを自分で選ぶ派”ですが
それは中学入学後に分かった事。
今手に入れなければ得られない事もありますから
どちらにしても良いようにしておけば
良いのではないでしょうか。
買い直すのではなくて、洗って、しまって置くののでは駄目だったのでしょうか?
短期間に二本なんて盛大な無駄遣いでと思います。
子供に金のかかる時期に自分の趣味押し付け
調整の勉強だってご自分の為でしょうに子供をだしにされるのは理解出来ません。